フジイブログ

色彩楽園主宰フジイのブログです。

ありがとう雨雲、そして太陽

ジョギングに出たときから雨粒が落ちてきていたのは知っていた。
通り雨なので、かまわずそのままスタート。
でも、進むにつれてはっきりとした雨になってきた。
さすがに「引き返した方がいいかなぁ」と思って、少し引き返してみたものの、「でも、やはり通り雨だし」ともう一度前に進むことに。
あー、でも、すぐには止みそうになくなってきた。

そこで、石段を上がって神社で雨宿りさせてもらうことに。
雨粒の数はどんどん増えてきて、引き返してもずぶ濡れ間違いなし。
神主さんも「もう少し遅く降り始めたらよかったねー」
弱ったなー。

でも、これはそんなに長くは続かない。
空を見上げながら考えること数分。
お!突然西の空が明るくなった!
これは、もうすぐおさまるにちがいない!

予想取り、ほどなくして走れそうになった。「よし!」
鳥居を抜けて振り返り、お礼を言って再び振り返ると、おお!なんと!目の前に虹が!!
こんなドラマチックなことあるー?
今日は珍しくツイてないかと思ったけど、やっぱりわたしはいつもツイてる。
ありがとう雨雲、そして太陽。

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ありがとうございます。色彩楽園26周年

 冷たい風が吹く日も、立春を迎えて少しずつ春の兆しを眼にするようになってきました。
この時期の冷たさに思い出すのは、色彩楽園の原点である1995年の阪神・淡路大震災での子どもたちのケアをスタートさせた2月5日の冷たい雨です。
リュックに画用紙やクレヨン、色鉛筆などを詰め込んで、傘をさして避難所に向かいました。

避難所2 「心のケア」が一般的ではなかった当時は避難所でおえかきをさせてもらうだけで大変でした。
屋内のスペースをお借りすることは難しく、子どもたちは校庭やプールサイドに敷いたダンボールの上で夢中で絵を描き、「寒い」という子どもはいませんでしたし、わたしたちボランティアも寒かった記憶はありません。
絵を描いたり体を動かして遊んだり、ほとんどの子どもは一見元気なように見えましたが、絵の中にはそれぞれの苦しみ、驚き、ショック、不安、怖さなどが次々と表れました。
子どもたちは、その大きなパワーで目の前の様々な壁を乗り越えて明日を迎えていたのです。

 このときに子どもたちが描いた絵は子どもの心の回復過程を知る上でとても貴重なものになりましたし、一見無意味に見える子どもの行動がとても重要な意味を持っていることを教えてくれました。

子どもたち2 そして2011年、東北で大きな震災が起きました。一晩中雪道を走って避難所に着くと、山と積まれた救援物資、忙しくしているボランティアたち。目の前には16年前と同じ光景がありました。

 しかし、一つだけ16年前とは大きく変わったことがありました。なんと、小さな子どもを持つ若いお父さん、お母さんから歓迎を受けたのです。
神戸の震災のときは絵によるケアなんて誰も知らなかったのに、子どもの心のケアに関わる人たちの様々な積み重ねが実となって、お父さん、お母さんたちに浸透していることを感じて、本当に嬉しい、涙がにじむような気持ちになったことを今でも覚えています。


 そして今。新型コロナウィルス感染拡大防止のための自粛や規制はもう一年になります。
震災のときのような突発的で、ある意味瞬間的なできごとにより心にダメージを受けた子どもに対するケアではなく、長く続くストレス、友だちとじゃれあって遊べない、会話を楽しみながら給食の時間を過ごせないことなどへのケアが考えれらなければなりません。
 26周年を迎えて、色彩楽園はまた新しい課題を突きつけられています。
でも、きっと子どもたちと一緒に乗り越えられると思っています。
さあ、今日は27年目のスタート。また一歩ずつです。

グリーン・パワー〜ヒトと緑の再生力

 一昨年の9月、実家の外壁工事のために、長年母が熱心に世話をしてきた庭のたくさんの木と花、すべてがなくなりました。
工事が決まったときから、とにかく植物が大好きな母がどれだけ気落ちするかと心配していたのですが、1ヶ月の工事期間中は緊張したまま、工事終了後はあまり変わりがないようにも見えました。
何もなくなった庭は本当に情けなく、寂しい場所になってしまっていて、眼から寒さを感じたくらいです。

IMG_8238 ところが、やはり年明けくらいになると、母は眼に見えて元気がなくなってきました。
「また、たくさん花を植えられるから」と言っても、返事もせず暗い表情のまま。時には「そんなん、できへん」と言うこともあったりして、それが2月くらいまで続きました。
その間も我が家の大きくなりすぎたグリーンを持って行って植えたりして、少しずつ緑を置くようにはしていたんですけれど。


 そこで、自然の中に身体を置くこと、歩くことを習慣にしようと週に一度は車ですぐの公園に行って、森の中を歩くようにしました。
自然が大好きな母なので、歩きながらほとんどの植物の名前は言えるし、子どもの頃の話もたくさん出てきます。

 公園に通っていると、少し元気が出ることもありましたし、元来料理をすることが好きなので、おやつを作って行って、木々や池、空を眺めながらティータイムをとって、ぼんやりする時間も取れましたが、やはり、元のような元気は戻りません。
しかも新型コロナウィルスの出現により、ますます不安になる要素も増えました。


 けれども、3月に入って生き残りの花が少しずつ芽を出し始めると、母にも少し元気が戻る兆しが見えました。
我が家から持って行ったオリヅルランに潜んでいたノースポールのつぼみが誕生したときには「これ、見て!」と大喜び。
ノースポールは母が大好きな花で、わりと簡単に増えてくれるので、母の「おくすり」には最適でした。
芽を出してくれた植物のパワーの大きさを改めて感じたのを覚えています。

 それに、通っている公園は割と広いので、短いけれど山道のような道もあります。
落ち葉で覆われた道は滑ることもあるので、踏ん張ったり、バランスをとったり、とても良いトレーニングになりました。階段も高さや幅が不規則だったり、傾斜があったりするので、舗装路では使わない筋肉を使います。特に下りはとても集中して歩きます。自分で「つま先を上げないと」と言って、いろいろと意識をしながら歩くようにもなっていました。
2年ほど前は「膝が痛い」と言って階段なんて上がれなかったけれど、公園ウォーキングを続けていると、膝は見違えるように良くなっていきました。
時には、ひーひー言いながらもがんばって歩いて(根っからの負けず嫌いです^-^;)、少しずつ増えてきた新芽や新緑からエネルギーをもらっていました。

 母の身体と心が少しずつ元気になってきたのは、森の中を歩き続けていることが大きかったのは間違いありません。これはやはり、家の庭にも緑が必要です。


IMG_0049 4月になって季節も良くなったので、我が家に眠っていたプランターに花苗を植えて運ぶうちに、母に、また少しずつ元気が戻ってきて、ようやく「庭の土をちゃんとしたい」と言い始めました。

 それまでは、花苗を見ても「これも、これもうちにあったのに」と繰り返すばかりで、「植えても大きくなるまで元気でいれるかどうかわからへん」と言い続けていたので、これは大きな一歩でした。
そして、「石灰を買う」と言いだしたときは、もうだいじょうぶかもしれない!と希望の光が見えました。


 そこで、外出自粛要請期間だったこともあって、庭づくりをスタート!
シャベルや鍬などの農具やコンクリートブロック、ガーデンブロックやレンガなど、様々な方に応援をいただいて、せっせと運ぶと、「お母さんにもできるかな!」とそれらを見ただけで喜んでいました。
庭に芽を出した花のように、「できる」ことが眼に見えたことが気持ちを動かしたようでした。

 わたしはと言えば、ベランダのプランターに花を育ててはいるものの、庭づくりなんてやったこともなかったのですが、とにかく庭の土を耕して、石灰を混ぜて寝かして、腐葉土と牛糞を混ぜて寝かして・・と少しずつ庭の再生作業に取り組みました。
縁側から見える場所にフェンス用のポットを並べて掛けたので、それが一日中見えることも良いようだったし、母は次第に「こっちにはこれを植えたい」と言うようにもなっていきました。
庭の生き残りのヨモギも「うちのは柔らかい!おいしい!」と自画自賛。
一日に何度も庭に出て花を見て、花殻を摘んだり、水やりのために庭中を往復するようになっていて、この頃には店頭で植物を見ても、「これもうちにあったわー」と、どうやらすっかり過去のことになったようで、「また、植えたいな」と言うようになりました。

IMG_0239 春に植えた花が大きくなってくると、道を行く人から「きれいですね」と声をかけられるようになったのは、予想していなかったことです。

 また、花が増えてくると、公園のウォーキングもますますはりきりモードになって、毎週せっせとお弁当を作って「酷暑」と言われた暑い夏も通い続けることができました。
 公園では階段を上がったり下りたりをがんばって、様々な鳥の声を聴き、池のカメやコイ、スズメやザリガニ、時にはサギやネコにも挨拶して、緑の中を吹き渡る風の心地よさを感じて、身体中で自然を味わう日々が続いたのです。

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 その間にも種を植えた朝顔やひまわりが咲いたり、新しい花を植えたりして、庭の手入れも欠かさず、身体の調子も良くなったようで、「もう膝のお医者さんには行ってない」とまで言うようになりました。

これはもうビッグニュース!
高齢になると、身体の機能が元に戻ることはなかなか難しいわけですが、どれだけ高齢になっても、こうして体力や気力が戻ることを目の当たりにして、人間が持つ底力は、わたしが理解していたものをはるかに超えるんだと、もう驚きを通り越して、これまでのわたしの認識の未熟さに恥ずかしくさえなったことは今も新鮮に残っています。


 自然が持つ大きな力の一つは、五感を刺激してくれる力です。
花の色や新緑のフレッシュな緑、日を追って色が変化する葉などは視覚だけでなく、嗅覚も刺激してくれるし、手に取ると触覚も、そして母は時々葉や実を失敬して味を確かめたりもしていました。
もちろん、緑の中で食べるお弁当は格別です。食べる量がすっかり少なくなった母ですが、お弁当はしっかり食べることができます。
 また、公園内には年中大きな望遠レンズをつけたカメラをかついだカメラマンがいるように、実にたくさんの種類の野鳥がいます。鳥たちはいつも賑やかで、母はその声に返事をしながら歩いています。
もちろん、自然の色が持つ力は、人工的に作った色とは格段に大きな力があります。

 それに加えて身体への刺激、運動効果もとても大きいものがありました。
公園内のアップダウンは筋力を使うし、身体全体のコントロールが必要な自然道は脚にもやさしく、歩いていて「気持ち良い」と言います。
最初は恐る恐る、ゆっくり歩いていたのに、今では歩き始めてしばらくすると歩幅が少し大きくなり、ちょっぴりスピードも上がってきました。膝の調子も上々です。
身体の調子が良くなってくると、自然を楽しむ余裕も大きくなるという良い循環を生みました。

 そして何より大きかったのは、自然が持つ生命エネルギーでしょう。
一時は荒れ野原のようになっていた庭に出てきた小さな芽は、大きな衝撃と、まだまだこれから始まるんだという希望を連れてきてくれました。
もうすっかり庭は死んでしまったように思っていた母に「また、できるのかもしれない」と感じさせてくれたように思います。
そう思わせてくれたのが、植物の生命エネルギーです。
生命エネルギーは植物だけでなく、その他の生きものにも、空にも海にも川にもありますが、それを感じることができれば、自らの生命エネルギーが刺激され、大きなエネルギーを生むのでしょう。
「これから大きくなる」「花が咲く」といった未来への希望こそが大きなエネルギーです。
この希望を自然からもらったのだと思います。


 今日はいただきものの小豆を「おぜんざいにした」と電話がありました。
明日は公園に行って、冷たい空気を感じながら、おぜんざいをあっためてみよう。
季節を感じること、自然の中に身をおくことを楽しもう。
そして、自分や周りの人たち、すべての生きものの力を感じよう。
こんなことが楽しい日々です。

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プロフィール

ふじいまさこざる

阪神大震災後の子どものこころのケアが色彩楽園の始まりです。当時出会った子どもたちは「こざるー!」と呼んでくれていました(^-^;

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