今日は1月17日。
特に神戸に住む私たちにとって、特別な日が今年もやってきました。
あの日からさまざまなことが変わりました。

ボランティアは一般的になりました。
あの日の震災で全国から駆けつけたボランティアたち、何か自分にできることはないかと懸命になった人たち、多くの人たちの心の中にある手伝わずにはいられない、少しでも力になりたい想いが一気に膨らんで外に向かって弾けたようでした。
今ではボランティアは、ごく一般的になりましたし、自然災害が起きたときの各自治体のボランティアの対応はシステマティックになりました。

心のケアは身近になりました。
 あの日までは、ごく一部の限られた人だけのもののように思われていましたが、この27年でそれは誰もが必要なことへと大きく変わりました。
今では事件や事故、災害など心にダメージを受けた人たちへのケアは当たり前です。
子どもたちの心のケアについても、大きく意識が変わりました。
被災した後の赤ちゃん返りしたり落ち着かなくなったり、おねしょしたりすることも心に大きなダメージを受けた後は自然な反応だということも、もうすでに多くのお父さん、お母さんが知っています。

地震への備えも当たり前になりました。
全国で建物の耐震化が広まり、 家庭での対策や備えや、万一のときの家族間の約束事なども浸透してきているでしょう。
全国どこで地震が起きてもすぐに速報が流れるし、災害時の情報発信と共有もとても素早く可能になりました。

これらは27年前の神戸の震災をはじめ、その後の各地の自然災害や事件、事故などで犠牲になった方々やその大切な人たちが生み出したものと言ってもいいと思います。

そして私たちは27年前に、何より大切なものは、それぞれの命、そしてその存在であることを胸に刻みました。
生きてさえいれば、また欲しいものを手にしたり、人との思い出を積み重ねていくこともできるでしょう。
守らなければいけないものは、「物」ではありません。
「いのち」です。
「その人自身」です。

その人は世界にたったひとりです。
また、自分自身も世界にたったひとりです。

新型ウィルスが世界中で猛威を振るい、
大雪に見舞われるところがあり、
海底火山が噴火し、
噴火による津波に備えて避難し、
ミサイルが飛んでくる日々です。

いのちについて、生きていることの意味について、考える28回目の1月17日です。
今年の追悼行事は「忘(忘れない)」。
忘られるわけがないし、忘たくても忘られないこともたくさんです。
しかし、これはあの日のできごとを忘ないことはもちろん、あの日感じたことを忘ない、あの日決意したことを忘ないということでもあると思います。
「あの日」は過去に戻ってあの日のこと、あの日の気持ちを思い出し、未来に向けて大切にし続けたいものを再確認する日です。
大きな絵1995