フジイブログ

色彩楽園主宰フジイのブログです。

10月のあおぞらレポート〜これがぼくだ!

101_1266長かった夏が終わり、ようやく青空の下での「あおぞら色彩楽園」となりました。

気温は下がって、朝は肌寒いくらいでしたが、すっきり晴れて明るい秋の一日でした。

この日、何枚か登場したのは絵の中に作者の名前が書かれた作品です。

子どもの絵の中に名前が登場することはよくあることで、珍しくはありません。

しかし、最初から名前が入ることはあまり見たことがありません。

何枚か絵を描いたり、立体作品に取り組んだりした後に力強く作者の名前が登場します。


作品の中に名前が出る時に共通しているのは、子どもが初めからリラックスしていたわけではないようだったということです。

工作スペースで材料を少々乱暴に扱ってみたり、絵の具を混ぜたり、水を足して流したりしてみたり、そうしたことも許されるのか、受け入れられるのかを確認しているかのような行動から始まります。


そして、それらが積極的に受け入れられ、そうしてみたい気持ちが受け入れられるることが確認できると、子どもたちはようやく本当にそのときにやってみたいことに取り組みます。

このときの「やってみたいこと」は、日頃はトライする機会が少なく、お母さんたちは「こんなことがやってみたかったなんて知らなかった」とおっしゃることもしばしばです。


描きたいように描けたとき、やってみたいことをやりきって満足感を感じるとき、絵の中に作者の名前が登場します。

子どもの中には満足感だけでなく、自信も生まれていて、「これでいいのかな」、「こんなことしたら何か言われるかな」などの不安はどこかに行ってしまっています。

この日の小学1年生Hくんの作品も進むにつれて、どんどんダイナミックになり、最後の絵には大きく名前が登場しました。それは、まるで「これがぼくだ!」と言わんばかりでした。


子どもたちは様々な顔を持っています。
繊細で引っ込み思案な面があるところも、ダイナミックに表現ができるところも、一見正反対のようですが、どちらもその子の顔にちがいありません。

また、繊細な表現をしたいときもあれば、ダイナミックな表現がしたいときもあります。

自由なアートスペースで心が開放されたとき、子どもは新しい顔を見せてくれます。

どんな一面を見せてくれるのか、その点も楽しみにしていただきたいと思っています。
(写真と本文は関係ありません)

くますけものがたり3〜あおぞら色彩楽園誕生!

くまものがたりロゴ3

こんにちは!くますけです!

ピンクのくまが登場したのは2009年ですが、色彩楽園は1995年の阪神・淡路大震災のときから心にダメージを受けた子どものケア活動に取り組んでいます。

阪神・淡路大震災が起きたのは1月17日。神戸で大きな地震が起きるなんて、ほとんどの人が考えていなかったし、今のようにインターネットや携帯電話も普及していなかったので、何が起きているのかを知ることも、誰かに連絡することも大変でした。

多くの人が死の恐怖を味わい、大人でも冷静ではいられない中で、「子どもたちはどうしているんだろう」と、思えたのが震災から二日後です。

ライフラインが断たれて、生活自体がままなりませんでしたが、子どもたちのことが気になって居ても立っても居られず、震災から三日後に東京に「救援物資でクレヨンを送ってもらえませんか?」と電話をかけました。

その後、絵による子どものケアに取り組むボランティアグループ「空とぶ子どものアトリエ」が誕生しました。

道路も線路もちぎれて、移動も難しい被災地で「空を飛んででも子どもたちのところに行きたい」という思いから付けた名前です。


避難所2-1神戸市、芦屋市、西宮市内の避難所や児童館、公園など最大13ヶ所で定期的におえかきやさんとして訪問し、自由なアートスペースを開設しました。

藤井さんは神戸市内の保育園では「うちゅうじーん!」と、芦屋市内の公園では「こざるー!」と呼ばれていましたよ。

一年間活動を続けて、延約3700名の子どもが絵を描きにきてくれたんです!
「空とぶ子どものアトリエ」が解散しましたが、藤井さんたちのグループが「色彩楽園」と名前を替えて、芦屋市内で活動を続けました。


そして、1997年、この活動は場所を神戸に移しました。
大倉山公園で「あおぞら色彩楽園」が始まったんです。
震災から2年、「やっと子どもが遊べる場所がみつかった」と言う声もありました。
あおぞら色彩楽園には本当に多くの子どもたちが遊びにきてくれました。
続きは「くますけものがたり4」で!

くますけものがたり2〜くますけが被災地に!

くまものがたりロゴ2

こんにちは!くますけです!涼しくなりましたね!

くますけものがたり1でお伝えしたように、「くますけ」と名前をつけてもらったのは2014年。
でも、ぼくが誕生したのは、どうやら2009年の春ごろのようです。そのころは、見た目の通り、「ピンクのくま」と呼ばれていました。
初めは「あおぞら色彩楽園」のシンボルキャラクターとしてスタートして、その後様々な場に登場するようになって、色彩楽園のキャラクターとして活動するようになりました。


その中で、なんと言ってもぼくが大活躍したのは、2011年の東日本大震災です。
原子力発電所の事故もありましたし、とんでもない津波に襲われて、街は飲み込まれ、たくさんの人が犠牲になりました。
もちろん、被災した子どもたちの応援に行ったのですが、同時に「おえかき救急箱」を作って被災地に届けたんです。

おえかき救急箱 おえかき救急箱は箱が机の代わりにもなるように、丈夫な箱を使いました。
中にはクレヨンや鉛筆、画用紙やぬりえなどと一緒にピンクのくま(当時名前はまだありません)のぬいぐるみを入れました。
心にダメージを受けた子どもにとって、クレヨンや画用紙はダメージを優しく包む包帯やばんそうこうになります。
だから、ぼくのポケットにはクレヨンが入っているでしょ?
子どもたちに元気になってもらうための、言わば「おくすり」なんです。

また、子どもにとって、柔らかいぬいぐるみに癒し効果があることはテディベアが有名です。

ぼく、くますけも子どもたちのそばに行きたいたいと思いました。
そこで、ピンクのくまのぬいぐるみを作ってくれるボランティア、通称くまボラさんを大募集しました。
DSC00933すると、なんと、なんと!
約1年半の間に全国から全部で400体ものくまのぬいぐるみが集まったんです!
アトリエはくまだらけでした!
もちろん、おえかき救急箱の中に入って被災地に行きましたよ。
中にはぼくの絵を描いてくれた子もいました。
この、くまボラをきっかけに、ピンクのくまは子どもの心のレスキューのシンボルになりました。

harukaピンくま120208













ぼくの活躍はまだまだあります。
くますけものがたり3をお楽しみに!
ギャラリー
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  • 復興の原動力は子どもたち〜震災復興モデル
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  • 4月のあおぞらレポート~あおぞら色彩楽園スタート!
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プロフィール

ふじいまさこざる

阪神大震災後の子どものこころのケアが色彩楽園の始まりです。当時出会った子どもたちは「こざるー!」と呼んでくれていました(^-^;