夏休みに入ってすぐの日曜日。開始時間にはあまり人影がなかった公園にゆっくりと子どもたちが集まってきました。
今月の「あおぞら色彩楽園」は、曇り空の下、のんびりと時が流れました。(7月21日:大倉山公園)
参加者のほとんどが、「お友だちに聞いてきました」と口コミでの参加なのは、もう何年も変わりません。人が人を呼び、さらに人が繋がっていくことが重なって、「あおぞら色彩楽園」は続いています。絵の描き方の指導を受けられるわけでもないし、材料が準備されたワークショップがあるわけでもありませんが、参加者が減っていくことはありません。なぜなのでしょう?
答は簡単です。楽しいからです。そして、能動的に取り組んで楽しさを体験すること、その子だけの表現を大切にすることが非常に大切だと考えているお父さん、お母さんたちがたくさんいるからです。
先月に続いてきてくれた小学2年生のKくんのお母さんは、「絵も工作もあまり好きではなかったんです。先月来たときは、まずいろんな材料を空き箱に入れるだけだったんで、そんなの工作じゃないと言ってしまったら、スタッフの方が『これもKくんの作品ですよ』とおっしゃって。そうなのかな、と思っていたら、次々と工作に取り組み始めて、帰ってからも空き箱などで何か作っているんです!こんなこと今までなかったのに。もうびっくりして・・」。
そして、お母さんの驚きは続きます。この日Kくんは、受付を済ませると「あれがしたい」と絵の具を指差したのです。
これにもお母さんは「絵の具なんて絶対きらいで、保育園のころは渋々やってたのに・・。どうしたんでしょう?」と驚きを通り越して戸惑った様子でした。
どうしてきらいになるの?
子どもの根っこは、描いたり、作ったりすることが大好きです。
でも、描き方を決めつけられたり、「これじゃダメ」と言われたとたん、絵や工作がきらいになります。
いや、きらいになるというより、自分にはできないんだ、自分はこういうことはダメなんだと想ってしまうと言った方がいいでしょう。
Kくんのように、みんな本当は好きなのですから。
特に絵や立体物は、作品を否定される、決めつけられるということは、それくらい大きな事態を招いてしまいます。
Kくんの最初の「空き箱にいろんなものを入れただけ」は、確かに彼の「そのとき」を表した作品でした。
これまで工作をあまり楽しいと感じたことがなかったKくんはこの場に来て、きっと様々な想いを抱えていたことでしょう。
箱の中に入った「いろんなもの」はKくんの「いろんな想い」であったに違いありません。それを表現として受け取ってもらったことがKくんの大きな一歩のきっかけとなりました。
表現がそのまま受容された時、子どもは大きく一歩を踏み出します。
想いのままに表現することの楽しさは、とてつもなく大きく、子どもの脳をいきいきとさせます。
子どもの心の表現は大人がイメージするアート作品のようなものばかりではありません。
むしろ、大人が「無駄なこと」と考えるようなものに、とても大切なことが表現されています。