フジイブログ

色彩楽園主宰フジイのブログです。

2019年09月

9月のあおぞらレポート

 秋の三連休の中日、子どもたちはゆっくりと集まってきて、のんびりと絵の具を楽しむ子、立体作品に夢中になっている子。見ているだけでほっとする、いつもの「あおぞら」の光景が広がりました。(9月15日:大倉山公園)

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夢中になる、楽しくなる

 始めて来てくれた小学5年生のYくんの作品は、次々とその姿を変えました。
作品の姿が変わるたびにYくんの集中力は高まり、まるで作品と対話するかのように見えました。
この日のYくんの最後の作品は軽快な音が響くマラカス。
Yくん曰く、「いや、『ワラカス』」とニコニコ。
つくりながら思わず歌を歌う子どもはたくさんいますが、受付では少々緊張した表情を見せていたYくんの気持ちが解放され、Yくんの中から楽しいリズムが湧き出したことがうかがえました。


絵が描けない、と心配なときは

 また、やはり始めて来てくれた小学生の兄弟は、お母さんが「やっと来れました」と話してくれました。「お兄ちゃんの方が絵が全然ダメで。学校の先生に相談すると、ここを勧めてくれたんです。
その先生自身のお子さんもここに数年通われたとかで・・」。

これには少々驚いてしまいました。
なぜなら、ここ「あおぞら」には絵の指導は一切ないわけですから。

お母さんの言葉には少々驚きましたが、それよりもはるかに大きな納得がありました。

 ご自身のお子さんが絵の指導がない「あおぞら」に数年通って、その結果見つけた答が「絵が描けなくて心配なら、「あおぞら」へ」だったとしたら、それは保護者がその子にあった表現方法の芽が子どもの中にに育ったことを感じられたのかもしれません。
また、どんな表現も否定をしない、つまり心の呼吸を止めない環境が、描くことを嫌いにさせなかったということも考えられるでしょう。
いずれにしても、お子さんにとって何かしら良いものが得られたことは間違いありません。
しかも数年の時間をかけての結論ですので、単に「楽しかった」という体験だけではなかったことも確かでしょう。



「絵が描ける」ということCIMG9793

 「絵が描ける」というのは、「本物そっくりに描ける」だけの力ではありません。
思いのままに色を選ぶ、気持ちにぴったりの色や線、形を感じることでもありますし、絵の具など画材や素材の魅力や新しい使い方を発見したりすることでもあるでしょう。
想いを眼に見える形にしたり、感じたりすることでもあります。

 ですから、特に子どもの絵は線一本、形ひとつ、色一つにメッセージがあります。
これらが受け止められたとき、子どもは安心して自分の言葉で表現します。

それはやがて描くことに夢中になることへの入り口となり、そして楽しくなって、その子にしか生み出せない作品の誕生へとつながっていきます。


 さて、渦中のお兄ちゃんは、受付で工作もできると聞くと、とたんに眼を輝かせました。
なんだ、この子はアートが好きなんだ!全然心配ない!

 今は立体物での表現が楽しく、ぴったりくるのでしょう。
彼の平面の作品に出会える日もそう遠くはないと思っています。
 

同じ気持ちに出会う

すぐ目の前にいた男性は振り返って言った。
「きれいね!」

 いつものシーサイドコースをジョギングしていた。
もう慣れてきたけれど、最初の2㎞は体が重い。足が動かない。
それでもノロノロと続けていると、少しだけスピードが上がり、気持ちよくなってくる。
だからと言って、調子にのって楽しくコースを進み続けると、また疲労を感じるので、 
「もう少し行ったら、アイスクリームを食べようかな」と考えていたときだった。
 
ちょうど太陽が沈む時間。
見ると、海の上に浮かぶ雲が赤く染まっている。
これは気になる。

予定のコースを外れて、 雲を追いかけてみる。
岸壁の壁に上がりたいが、登れそうな ところがない。
と、向こうから釣り竿を持った人が岸壁の上を歩いてやってきた。
どこかから登れるにちがいない。

あ、ここだ。
ハシゴをよじ登る。
写真を撮り始めると、 すぐ前で釣りをしていた男性は振り返って言った。
「きれいね!」

見ると、反対の西側の空も美しく輝いている。
迷わず西側にも写真を撮りに行った。

「ああ、きれいだ」と感じる気持ちは教わることはできない。
 誰かに植え付けてもらうものでもない。
きれいだと感じるものに出会っただけでも嬉しくなるのに、
同じように感じている人がいることからは、嬉しさを超えて高揚感ともいえるものが湧き上がってきているのがわかる。

吸い寄せられるように出会った美しい空と、その美しさを共有して湧き上がってきたエネルギーは、この後予定を大幅に超えて、さらに3㎞わたしを走らせた。

 
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さよなら、くじら2

大きなくじらも、海や陸の生き物たちも、ほとんど色あせることなく、17年間LDセンターの壁やドアでたくさんの子どもたちを迎えてくれた。
移転を正式に聞いたのは、今年春になったばかりだった。 

建て替えのため、とうとう秋に取り壊しが決まったこと。

壁のくじら、看板、、、何とか形を変えて残せないものかと相談していること。
共に月日を重ねた……と心に留めてお別れした方がよいのかと悩んでいること。
センターのスタッフの方々はずいぶん頭を悩ませてくださったようだ。

くじらの誕生から17年間、毎年センターに通う子どもたちとアートを通して関わってきた。
子どもたちは、
この大きなくじらにも、
入り口を飾った看板にも、
自由なアートという、実はとても難しいテーマにも、
いつも 臆することなく立ち向かった。

もちろん、作品は大切にしたい。
大切にしなければいけない。
子どもたちの作品には命がある。

でも、命あるものはいつかなくなる。

いつかはなくなる命は、どれも尊いものだと思う。
そして、壊れたとき、また新しいものが生まれる。

壊れて、生まれて、の繰り返しがアートから生まれるエネルギーなのだろう。
くじらは立派に生ききったと思う。

くじらを描いてくれた子どもたち、
くじらをさわってくれた子どもたち、
くじらを見てくれた子どもたち、
本当にありがとう。

さよなら、くじら。

くじら2
 
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プロフィール

ふじいまさこざる

阪神大震災後の子どものこころのケアが色彩楽園の始まりです。当時出会った子どもたちは「こざるー!」と呼んでくれていました(^-^;