今年の夏の暑さは本当に厳しいものでした。
まもなく10月というのに、昨日も運動会の後に熱中症のような症状で小学生が搬送されたというニュースがありました。
暑さは年々厳しくなっているようで、この先も対策などは大きく変化しそうです。

それでも朝夕はひんやりとした空気を感じるようになりました。
これから先、涼しくなり、そして寒くなってくると、子どもたちは学校で持久走やマラソンに挑戦します。
長距離を走ることは今も昔も嫌われているようで、冬が来ると「マラソンいやや」と言う声をよく聞きます。

わたしは走ることが好きです。
中高生のころはよく走っていましたし、体力テストの持久走もイヤだと思ったことはありませんでした。
社会に出てからは走らなくなりましたが、運動することをやめてしまうことはなく、海に潜ったり、自転車でツーリングするなど、スポーツから離れることはありませんでした。

ところが28年前、神戸では大きな地震がありました。
被災した子どもたちのケアのためにクレヨンや色鉛筆を持って走り回る日々。
道路が復旧した後の移動は100%自動車を使って、数年後に気がつけば、びっくりするほど体重は増え、体力はなくなってしまっていました。
「これはマズい!」

まずは歩けるようになろう。
そう、ランニングマシンの上を歩くことが精一杯なほどに体力は低下していたのです。
歩けるようになってくると、少しスピードアップしてジョギングするようになり、そうなるとマシンの上ではなく、外に出てウォーキングしたり、ジョギングしてみるようになりました。
そうしているうちにジョギングが続くようになると、もう少し長く走ってみよう、もう少し早く走りたいと思うようになります。
初めてチャレンジしてみたマラソン大会10kmでは、もうとにかく「まさか自分が10kmも走れるようになるなんて!」という驚きでいっぱいでした。
このころ、ようやく走ることが「楽しい」と感じ始めたように思います。

子どものころは走ることは嫌いではありませんでしたが、やはり「早く走らないといけない」と思っていたことは確かで、走ることが「楽しい」と感じてはいなかったように思います。
なので、社会に出てからは走らなくなってしまったのでしょうか。
自発的に自分のペースで走ることがこんなに楽しいなんて、どうして知らなかったんだろう?
思い返せば、自分のペースで気持ちよく走る体験やウォーミングアップのやり方なども体育の授業で教わった記憶がありません。
走ることの「楽しさ」を知らないまま大人になっている人は、おそらくとても多いでしょう。
これは、走ることだけではなく、自分のスタイルで、自分のペースで絵を描く、色をぬる、つくることの楽しさに触れる機会がないまま大人になっていることととても似ている気がします。

fullsizeoutput_53eですから、「あおぞら色彩楽園」で自分のスタイルで絵の具に没頭した後、「楽しかったですー。初めて楽しいって思いました」と充実感をにじませるお母さんを時々眼にするのも頷けます。
また、「楽しさ」を感じて取り組んでいる時、子どもたちは持っている力を十分に発揮します。
楽しいので、たくさん描きますし、描けば描くほど描き方、表現力を身につけて、また一層楽しくなります。
楽しさを感じながら描いたりつくったりしているときは、すばらしい子どものアートが誕生することも納得せずにはいられません。
もちろん、「楽しさ」は苦しんだ末に得られる時もあります。
努力を重ねて、持てる力を精一杯振り絞って得られる「楽しさ」もあります。

しかし、わたしたちは、知らず知らずのうちに楽しさは悪のように思ってしまっているかもしれません。
「楽しい」と言うと、どこかしら「それではいけない」、「もっと苦しんでがんばらないと身につかない」と思われがちなようで、「走ることは苦しい」、「絵は本物そっくりに描かないといけない」という経験ばかりが残ってしまっているように思います。
楽しさを感じている時の子どもは、びっくりするほどがんばれるのに。

そんな中、体育の授業の持久走は楽しさやペースを重視し始めて、変化の兆しを見せているというニュースが流れたのは今年の春です。
これには「そうそう!先生たち、がんばれ!」と思わずにいられませんでした。
「あおぞら色彩楽園」でも「この子らしさを大切にして、自由にのびのび表現する経験をさせたい」と考えておられる保護者の方は増えています。
楽しいことは、その子の個性を守り、様々な力を伸ばします。
そもそも「楽しさ」を感じられる力があることが、とてもすばらしいことだと思っています。