春になった。
今年を迎えたときには想像もしていなかった春になった。
大人も子どもも、神戸にいる人も他の場所にいる人も、地球上にいる人たちみんなが困っている。苦しんでいる。
自然災害等で大切な家や家族を失ったり、突然生活が一変したりした人たちにはすぐにクレヨンを持って行って、こころの救急活動を展開してきたが、今回はそれが難しい。
また大きな課題を突きつけられている。

また、自然災害の被災者だけでなく、様々な苦しみを抱える人たちが通う精神科のクリニックでもアートの時間を担当していたのは一昨年前の秋まで。
院長の長尾圭造先生が急逝され、ほどなくして長尾こころのクリニックは閉院となった。
ずっとアートに通ってくれていた人の中には、その後も「片付けたら出てきました」と折り紙などを送ってくださった方もいる。

そんな中、同じく熱心にアートに通ってくれていた、三重県のTさんからメールをいただいた。
一年半経った今も彼女の作品を覚えている。

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藤井昌子先生


ご無沙汰しております。長尾こころのクリニックのアートの時間でお世話になりました。

コロナの自粛は気持ち的に大変ですね。
前から社会的規制に敏感な私には、これから私みたいな人が出てくるとなんとなくわかるのです。
そして、絵が必要と改めて思うのです。


先生にお伝えしたいこと。
今でもアートの時間が必要ですが、同じくらい、離れていても先生はいらっしゃる、とわかることが大事なのではないかと考えました。
会えないけれど、幾分か安心すると思うのです。
大事な写真を見て落ち着く時のように。
長尾先生は残念ながらここにはいらっしゃらないけれど、藤井先生は神戸にいらっしゃる事実があります。
塗り絵の公開や、フジイブログはうれしいです。

無業の私に今できることは、生産、支えてくれる側の人たちに、工夫してくれてありがとうと言うことです。
逆に、ありがとうと言うことで自分を落ち着かせていると思います。

突然のメール、失礼いたしました。どうぞご自愛ください。
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被災した子どもたちや クリニックに通う方々の作品に絵の読み解きを教えていただいたり、再生力を感じてパワーをもらったりは幾度もあったけれど、一年と半年という時間を超えて、今もなお絵が必要と感じてくれていること、これほど嬉しいことはない。 
いや、絵の力は時間が経ったからと言って忘れ去られていくような、そんな小さいものではない。
むしろ、時間が経っても、その力が一人一人の中に根付いていることは、きっと当たり前のことなのだろう。

そして、Tさんが言うように、「離れていても、いる」ということの大きさ。
「これができる人だから大切」、「こんなことしてくれるから好き」ではなく、そこにいる、つまり存在するということの大きさだ。
存在していることの意義は、とてつもなく大きなものなのに、その人自身にはとてもわかりにくくて、ともすればそんなものはないと思ってしまいがちになるような、ある意味やっかいなものだ。
大切なものほど眼に見えないし、ややこしい。

長尾こころのクリニックのアートに通ってくれていた方々の、それぞれの場に今も「アートの時間」があればと思う。 
 
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