フジイブログ

色彩楽園主宰フジイのブログです。

色彩楽園30年

復興の原動力は子どもたち〜震災復興モデル

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こんにちは!くますけです!

 さわやかな日が続いています。あちこちに紫陽花の花も眼にするようになりました。
今回は阪神・淡路大震災から10年の時が経ち、震災後に歩んできた道をようやく振り返ることができるようになってきたように感じていたころの震災復興モデルについてお話しします。


 1995年、神戸の街が揺れてライフラインが断たれ、生活や仕事の再建に奔走した大人たち。
子どもたちがいつもにまして「だっこして!」と言えない日々が続きました。
抱え込んでしまった恐怖や不安、やりきれなさ、そして言葉にならない気持ちは、いつか心のバランスを崩してしまいます。
わたしたちはクレヨンや色鉛筆を持って子どもたちのもとへ行かずにはいられませんでした。

 冷たい避難所や公園で子どもたちは驚くほどたくさんの絵を描きました。心の中にある様々な想いを色に代え、形に代えて画用紙の上に表し、絵という心の言葉を語ってくれました。
心の中に閉じこめたものを表現する姿には、未来に向かって歩もうとするエネルギーが満ちあふれていました。
それは私たちを癒し、希望を感じさせ、神戸復興の隠れた原動力にもなりました。

 そんな10年間の歩みに希望と感謝を込めて震災復興モデルは誕生したんです。


 この企画はカンペール社と色彩楽園のコラボレーションによって実現しました。メンズ、レディスの2パターンの展開です。どちらも片方は被災した子どもたちが描いたショックや驚きを、そしてもう片方は10年という時が経って表現された「ありがとう!」や「希望をすてないで!」と言ったメッセージを表した作品がプリントされていて、「1995」と「KOBE」の文字も入っています。

 カンペール社はスペインの老舗シューズメーカーで、色鮮やかなユニークなデザインのモデルを生み出していることでも有名です。このコラボレーションを企画してくださったKさんは、当時こんなことを語ってくれていました。


「突然訪れた悲しい出来事の中に、今まで感じなかった隣人の優しさや、遠くに住む友の無性な愛情、冷めた若者のボランティアへの熱い関心や、その無償な行動・・。
”人間”って捨てたもんじゃないよね・・と、生活ラインの復旧を今か今かと待つ中、胸を熱くしたことを思い出します。


そして、あれから10年。自分たちのできることを一生懸命少しずつ積み上げ、大震災のことを消し去りながら生きてきたような気がする。いや、この出来事があまりにも悲しすぎて思い出したくなかったというのが正直なところかもしれない・・・。

しかし、この10年目を迎えるにあたって、阪神大震災を葬り去るのではなく、そこから学んだメッセージを伝えていく責任があることを気付かされた。

人ってすばらしいよね。ってことと、自分たちの出来ることを少しずつすれば前に進める。ってこと。


(中略)1995年。大きな揺れる大地に心を閉ざした子どもの絵から表現された恐怖感。でも、2005年の今はありがとうと微笑むことが出来たこと。camper社が子どもの繊細な心を、瓦礫から足を保護してくれた”靴”を通して表現してくれている。


自然災害や戦争や悲しいことの多い中、いつも傷つく子どもたち。

でも、大人たちがしっかり見守り、手をとり、しっかり歩いていけば必ず素敵な未来が待っていること。そんなメッセージをこの企画を通して伝えることが出来れば素敵だなと思います。」


 被災した神戸の子どもたちは絵を描いて元気になりました。
子どもの中にはショックを乗り越え、勇気と愛を自らの中に育てる力が潜んでいます。

子どもたちが子どもたちを支えるー子どもには、そんなことまでもやってのける力があります。

 この震災復興モデルは一部のカンペール店や各地のデパートなどで販売されて、収益はすべて子どもを守る団体に寄付されました。


 30年という時を経た今、震災の体験を通して、また、その後の様々な活動を通して、わたしたちは子どもが心を解放し、心の言葉を話す場があることが子どもの心を安定させて、個を充実させ、それぞれが持つ力を育てることを再確認しました。

 自然災害や紛争、事件、事故などにより苦しんでおられる方々をはじめ、多くの方々に子どもが持つ無限の力が、いつもわたしたちに希望を与えてくれていることを少しでもお伝えできればと願って誕生した靴、Kobe Twinsです。


kobe twinsA4

くますけがひもとく色彩楽園30年〜子どもたちの声から生まれたあおぞら募金

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こんにちは!くますけです!

新学期が始まったね!新しい教室や新しいお友だちなど、新しい日が始まっていると思います。

あおぞら色彩楽園も4月からスタートしたよ!


みんなも知っている通り、月に一度の公園のアートスペース、あおぞら色彩楽園はあおぞら募金によって運営・開催しています。

今はぼく、くますけの募金箱が受付に座っているよ!

募金箱のくますけが持っている旗は毎月変わってるんだよ。


この、あおぞら募金は30年前にスタートした時にはありませんでした。

スタートから10年以上募金を集めることはなかったんです。

ところが、150名を超える多くの参加者を迎えた2008年4月、受付にやってきた男の子が手の中のコインを見せて、「これ、募金します!」と言ってくれたんです。

まさか、そんな申し出があるとは思っていなかったので、藤井さんはとても戸惑ったらしいですよ。

でも、「ありがとう!」と言って、とりあえずは近くにあった空き箱にコインを入れました。

すると、その後にやってきた子どもたちも「募金します!」と言って、箱の中にコインを入れてくれました。

そのときのことを藤井さんに聞いてみました。

「本当にもうびっくりしたよ!あまりに戸惑ってしまって、少しの間どうしたらいいかわからなかったくらい。
でも、同時になんてありがたいこと!と感謝でいっぱいでした。
だって、あおぞらの開催を応援してもらっているわけだし、ということは、楽しんでもらっていることでもあるし。

しかも募金を申し出てくれたのが子どもたち!

やっぱり、心を元気にしてくれるのは子どもたちなんだと改めて思いました」。


P1090097あおぞら色彩楽園は30年前から参加無料ですが、この日を境に受付に募金箱を置いて、参加者に協力をお願いしました。

絵の具や画用紙など画材の購入は、あおぞら募金を役立てています。

みなさんからの募金がなかったら、あおぞら色彩楽園は続いていなかったでしょう。

また、あおぞら募金は、あおぞら色彩楽園の開催だけでなく、自然災害などで被災した子どもたちのケア活動にも役立てられていて、さまざまな地域の子どもたちを支えています。


子どもたちの声から生まれた、あおぞら募金。

あおぞら色彩楽園は、単なるおえかきイベントではなく、参加者やつながっている方々など、多くの方々に支えられているアートのムーブメントだと思っています。

くますけものがたり6〜あおぞら存続の危機も!?

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 こんにちは!くますけです!

ようやく梅の花が咲き始めました。春が近づいてきましたね。あおぞら色彩楽園も3月よりいよいよスタートします。早くみんなに会いたくて、待ちきれないよ!

公園での自由なアートスペース、あおぞら色彩楽園もおかげさまで30周年を迎えました。阪神・淡路大震災で被災した子どもたちのケアから始まって、今では子育て支援の場としても続いています。多くの方々に支えられている「あおぞら」ですが、30年の中では存続の危機もありました。


 あおぞら色彩楽園は1995年にスタートして、1997年には開催場所を大倉山公園に移動しました。このとき、被災した留学生の支援のために誕生したロータリー子どもの家(現神戸真生塾子ども家庭支援センター)との共催で毎月開催し、夏休みには「おもいっきりおえかき大会」も開催しました。非常に多くの参加者を迎えていましたが、共催していたロータリー子どもの家が撤退したんです。このとき、色彩楽園の単独開催で活動が続けられるのかどうか、藤井さんは本当に悩んだそうです。


 なぜなら、ロータリー子どもの家には現在も倉庫や備品運搬のための車をお借りしたりして、お世話になっています。しかし、色彩楽園だけで開催するとなると、特に資金的には非常に厳しい状況になってしまいます。ボランティアスタッフの交通費すら支給もできません。何ヶ月か悩み抜いたあげく、2014年からは色彩楽園の単独開催事業となりました。

このとき、藤井さんはどんなことを考えたのか、聞いてみました。


くますけ:色彩楽園だけで開催と決めたときはどんな気持ちだったの?

藤井:もう、なんとも重苦しい気持ちでいっぱいでした。もしも、あおぞらスタッフがボランティアを続けられないということになったら、あおぞら色彩楽園は開催できないからね。いよいよ「あおぞら」も終わるのか・・・とも考えました。

くますけ:あおぞらスタッフに伝えたときは?

藤井:2014年1月のあおぞら研修の日に、この活動の歴史や関わった多くの人たちの想いなどを改めて伝えて、この春からは交通費さえも支給できないことを知らせました。この状況でも「あおぞら」に関わってもらえるなら、改めてスタッフ登録をしてほしいと。このことを口にしたときの緊張は、もう、しばらく感じたことがないほどで、心拍数が急激に上がるのがはっきりわかりました。

くますけ:あおぞらスタッフたちはなんて言ったの?

藤井:それがね、もうびっくりしたんだけれど、あおぞらスタッフは、少し驚いてはいたけれど、異議を唱えたり、不満を漏らしたりすることはなかったのよ。それどころか、それならばと、それぞれが今後の活動資金確保のアイデアを口にし始めたの。まるで「そんなことはたいした問題ではない」とでも言いたげだったね。それだけじゃなくて、前の年に続いて(東日本大震災で被災した)福島県での「あおぞら」開催のための資金集めをみんなでがんばりたいという気持ちを表してくれたんです。


 交通費の支給がないボランティアは珍しくないんだけれど、あおぞらスタッフは毎回活動に参加できることが登録の条件です。さらに子どもに関しての様々なことを自分で勉強しなくちゃいけないの。自分で状況を判断して対応する高い能力が常に求められて、強い責任感を持ってくれています。中には心理や教育を勉強中の大学生もいたし、当時は遠く広島から毎月参加している人もいました。せめて交通費くらいは、という想いは当然のことだと思ってたんです。

くますけ:すごーい!できるだけ多くの子どもや保護者を支えたいというあおぞらスタッフの情熱は、藤井さんの想像を遥かに超えた大きなものだったんですね!

藤井:うん、そうね。交通儀なんて、どうでもよかったのかも。あおぞらスタッフはプロ集団なので、子どもの育ちや保護者にとって何より大事なことがわかってるんだよね。子どもたちにとって理想のアートスペースを維持できるのなら、それが最も大事と思ってくれているんだと思うよ。


 あおぞら色彩楽園は、神戸市社会福祉協議会善意銀行の助成とあおぞら募金で活動しています。スタッフにはできるだけ交通費を支給していますが、支給した交通費を「募金です」と言って募金箱に入れてくれています。

この、あおぞら色彩楽園存続の危機のときも、新型コロナウィルスで開催が難しくなったときも、あおぞらスタッフみんなで知恵をしぼり、挑戦し続けて危機を乗り越えてきました。その時々で進化を続けてきたと思います。

あおぞら色彩楽園30周年は、あきらめずに挑戦し続けた30年。

支えてくださっている多くの方々の想いがつまった30年です。
(写真は2015年。20周年のときのあおぞらスタッフです)

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くますけものがたり5〜いろんな発信をしています!

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こんにちは!くますけです!

今年もよろしくお願いします!


ぼく、くますけは大きなショックを受けたり、悲しい思いをした子どもたちのもとへ行って、ふわふわした体をさわってもらったり、一緒に眠ったりすることがいちばん大きな役割です。

ぬいぐるみをさわったり、抱っこしたりして安心するのはテディベアくんが有名ですね。

ぼくは元々「あおぞら色彩楽園」のシンボルキャラクターとして誕生しましたが、2011年の東日本大震災で被災地に届けた「おえかき救急箱」にぼくのぬいぐるみを入れようと思って、ぬいぐるみ作りのボランティアを募ったところ、全国から400体を超えるたくさんの「くますけ」が送られてきました。

この後に「くますけ」と命名されるわけですが、ぬいぐるみとしてだけでなく、いろんな情報発信も担っています。


2020年、新型コロナウィルスの感染が広がった時には、あおぞら色彩楽園はしばらくの間お休みしました。

学校も休講となり、大人も子どもも不安な毎日を送っていたので、あおぞら色彩楽園を開催して少しでも不安を少なくしてほしかったのですが、感染についてはわからないことも多く、泣く泣く中止にしました。

でも、やはりおうちでぬりえをしたり、おえかきを楽しんでもらいたい!と考えて、特別に応援ぬりえを配信しました。


あおぞら応援ぬりえは、あおぞらスタッフが作成しました。

3月初めから配信を始めて、5月のゴールデンウィークが過ぎるまで、ほぼ毎日のように新しいぬりえを届けました。

もちろん、ぼくも感染対策のお手伝いをしましたよ!

感染対策をする上で大切なことや、外で思い切り遊ぶこともままならないみんなにくますけからのメッセージを届けたんです。

少しでも感染の広まりがおさまるように、感染する人が増えないように、あおぞらスタッフと協力して、できることをやり続けました。


今は新型コロナウィルス感染も驚かなくはなりましたが、インフルエンザはとても増えているようです。

インフルエンザもしっかり対策して、寒さに負けず、毎日元気に遊ぶことができますように!

感染症対策

くますけものがたり4〜災害と子どものケア

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こんにちは!くますけです!

1995年の阪神・淡路大震災での子どもの心のケア活動から色彩楽園は神戸に誕生しました。

その後も子どもの心を解放するための公園のアートスペースは続き、多くの子どもたちを迎えました。これが今の「あおぞら色彩楽園」で、震災直後と同じくボランティアで活動を続けて、新年を迎えると満30年になります。

30年の間、「あおぞら色彩楽園」を続けながら、各地で起きた災害で被災した子どもたちの元へも駆けつけました。

・1995年 阪神・淡路大震災(兵庫県西宮市・芦屋市・神戸市)
・1997年 神戸市児童相談所一時保護所(兵庫県神戸市)
・1999年 コソボ紛争(大阪府堺市)
・2004年 豊岡市台風23号(兵庫県豊岡市)
・2009年 佐用町台風9号(兵庫県佐用郡佐用町)
・2011年 東日本大震災(山形県・福島県)
・2014年 広島豪雨災害(広島県広島市)
・2018年 西日本豪雨災害(愛媛県大洲市)


1997年からは神戸市児童相談所(現神戸市こども家庭センター)一時保護所で生活する子どもたちと「おえかきケア」の時間を持ち、1999年には激化した紛争から親族を頼って日本に避難したコソボの子どもたちのケアに関わりました。紛争を経験した子どもたちのダメージはやはり大きく、2001年春に母国に帰国するまで、毎月一緒に絵を描いて過ごしました。


DSC00531そして、世界中が驚いた2011年の東日本大震災。

信じられないくらいの大きな津波により、とても多くの方々が犠牲になり、また、原子力発電所の事故も起こりました。

そんな中、震災から2週間後には「おえかきやさん」として避難所に向かい、翌年からは福島県で毎月おえかきやさんを実施する機会をいただいたんです。

このときは「くますけものがたり2」でもご紹介した通り、くまボラさんたちの手によって400体ものくますけぬいぐるみが集まりましたよー。


また、2018年の西日本豪雨により怖い想いをした子どもたちとも出会いました。

あのときは神戸でも本当にたくさんの雨が降り続いて、「この雨、本当に止むのかなあ」と思ったくらいです。


こうした活動が評価されて、2015年には日本児童青年精神医学会より実践奨励賞をいただきました。表彰式にはぼくも一緒に行きました。

どこで起きた、どのような災害でもスタッフから聞いたのは、子どもたちが次第に心を解放して元気を取り戻していく姿に「私たちが元気にしてもらった」という声です。

みんなのパワーは本当に大きくて、ぼくも元気をもらいました。

子どもも大人も心のエネルギーを取り戻すと街も元気になっていきます。

これは、きっと、この先も変わりはないんだろうと思います。


これらの活動はどれも多くの方々のご支援をいただき、実現しました。

子どもの心の健康を大切に考える人たちがたくさんいることもまた、本当に嬉しく、感謝でいっぱいです!

ギャラリー
  • 5月のあおぞらレポート〜まずは絵の具を楽しんで!!
  • 復興の原動力は子どもたち〜震災復興モデル
  • 復興の原動力は子どもたち〜震災復興モデル
  • 4月のあおぞらレポート~あおぞら色彩楽園スタート!
  • くますけがひもとく色彩楽園30年〜子どもたちの声から生まれたあおぞら募金
  • くますけがひもとく色彩楽園30年〜子どもたちの声から生まれたあおぞら募金
  • 新しい世界はみんなを待っている!
  • くますけものがたり6〜あおぞら存続の危機も!?
  • くますけものがたり6〜あおぞら存続の危機も!?
プロフィール

ふじいまさこざる

阪神大震災後の子どものこころのケアが色彩楽園の始まりです。当時出会った子どもたちは「こざるー!」と呼んでくれていました(^-^;