フジイブログ

色彩楽園主宰フジイのブログです。

想うこと

色彩楽園は29周年を迎えました

ありがとうございます。色彩楽園は29周年を迎えました。
みんな、みんな、Welcome!

阪神・淡路大震災で被災した子どもたちの心のケア活動をきっかけに誕生した色彩楽園。
おかげさまで29周年を迎えました。
大震災が起きた1月17日は神戸にとって特別な日です。
毎年新しい年を迎えると、近づいてくる「あの日」のことを思い出して多くの方々の力の結集で徐々に日常生活を取り戻したこと、これまで積み上げてきたことが全国様々な場所で少しでも役立っていることを思います。
しかし、大切な人や家、その他様々なものを失った方々の日常生活は、今なお戻ったとは言えないでしょう。そんなふうに「あの日」のことを思い出しかけていた新年最初の日、また大きな地震が石川県を襲いました。

どれだけ怖いおもいをしたか、
どれだけ不安なのか、
寝る、食べる、一日を過ごすことがどれだけ大変なことか。
あの日体験したことを思い出すと、胸が締め付けられる思いです。
私たちは人と再会できたことの言いようない喜び、蛇口から水が出ることの大きな嬉しさ、毎日電車やバスが動いていることの深い感謝を知っています。

すべての子どもたちが「健康であってほしい」。
これが色彩楽園の願いであり、健康な成長をサポートすることが活動の目標です。
震災後の心のケア活動は29年経った現在も私たちのボランティア活動「あおぞら色彩楽園」として続いています。
子どものアートクラス「アトリエ」と共に健康な育ちの土台を育てるお手伝いをするための自由なアートスペースです。
心にダメージを受けた子どもにも、毎日元気に過ごしている子どもにも、誰にとっても大切な心の表現の場です。
30年目の活動に入った色彩楽園は「あの日」胸に刻んだ、すべての命、すべての存在が何よりも尊く、大切であることを引き続き大切にしながらさらに歩みを重ねます。

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28年の時を経て〜変わらぬ大切なもの〜

 1月17日は防災とボランティアの日。
28年前に阪神・淡路大震災が起きた日です。
あの日も火曜日でした。

 

 当時、神戸で大きな地震が起きることを考えていた人は、おそらく少なかったと思います。
地震に対する備えなども子どもの頃からあまり聞いたことはなかったし、 どこか、関東や東海のイメージがありました。
「まさか!」という想いは、きっと多くの人の中にあったでしょう。
ですから、「なに?なにが起きたの?」と戸惑う時間も長かったかもしれません。

 あの日は生まれて初めて「あ、今、死ぬんだ」という感覚を経験しました。これは、あの日以外に経験したことはありません。


 繰り返される余震は、また大きな揺れが来たらどうすればいいのかと思わずにはいられませんでした。
寒い日でしたが、玄関や裏口を開け放して、外に出かける時と同じコートを家の中で着て、テレビのニュースに釘付けになりました。
夜になると、当時家にいたネコがあの日だけベッドに潜り込んできました。

あの日のことは今でも当時と同じように話すことができるくらい記憶は鮮明です。

忘れるわけがありません。

あの日は過去のことになっているようで、なっていないのかもしれません。


 あの日、私たちは、たくさんの尊いものを失いました。
今なお、あの日のことを受け止められずにいる方もたくさんいらっしゃいます。

 しかし、あの日から28年生きてきた私たちは、多くの新しいものも生み出し、得てもきました。

生活を立て直すパワー。

「ボランティア」は「普通のこと」に。

様々なつながり。

災害に強い街をつくりたいという想い

地震への備え。

そして、一人ひとりの命、その存在が何より大切だという想い。


自然災害などで被災した子どもの心のケアの基本もその一つです。

命の重さをあれほど感じた日はありません。

無事でいることが、どれほど嬉しく安心できるのかをあれほど感じた日はありません。

1月17日は、そういう日です。
 

避難所2-1 この写真は避難所で絵を描く子どもたち。夢中で絵を描く子どもたちに明日への希望をもらいました。
 

 神戸に暮らす私たちにとって、1月は命を想う月です。

過去に戻り、未来に生きる

今日は1月17日。
特に神戸に住む私たちにとって、特別な日が今年もやってきました。
あの日からさまざまなことが変わりました。

ボランティアは一般的になりました。
あの日の震災で全国から駆けつけたボランティアたち、何か自分にできることはないかと懸命になった人たち、多くの人たちの心の中にある手伝わずにはいられない、少しでも力になりたい想いが一気に膨らんで外に向かって弾けたようでした。
今ではボランティアは、ごく一般的になりましたし、自然災害が起きたときの各自治体のボランティアの対応はシステマティックになりました。

心のケアは身近になりました。
 あの日までは、ごく一部の限られた人だけのもののように思われていましたが、この27年でそれは誰もが必要なことへと大きく変わりました。
今では事件や事故、災害など心にダメージを受けた人たちへのケアは当たり前です。
子どもたちの心のケアについても、大きく意識が変わりました。
被災した後の赤ちゃん返りしたり落ち着かなくなったり、おねしょしたりすることも心に大きなダメージを受けた後は自然な反応だということも、もうすでに多くのお父さん、お母さんが知っています。

地震への備えも当たり前になりました。
全国で建物の耐震化が広まり、 家庭での対策や備えや、万一のときの家族間の約束事なども浸透してきているでしょう。
全国どこで地震が起きてもすぐに速報が流れるし、災害時の情報発信と共有もとても素早く可能になりました。

これらは27年前の神戸の震災をはじめ、その後の各地の自然災害や事件、事故などで犠牲になった方々やその大切な人たちが生み出したものと言ってもいいと思います。

そして私たちは27年前に、何より大切なものは、それぞれの命、そしてその存在であることを胸に刻みました。
生きてさえいれば、また欲しいものを手にしたり、人との思い出を積み重ねていくこともできるでしょう。
守らなければいけないものは、「物」ではありません。
「いのち」です。
「その人自身」です。

その人は世界にたったひとりです。
また、自分自身も世界にたったひとりです。

新型ウィルスが世界中で猛威を振るい、
大雪に見舞われるところがあり、
海底火山が噴火し、
噴火による津波に備えて避難し、
ミサイルが飛んでくる日々です。

いのちについて、生きていることの意味について、考える28回目の1月17日です。
今年の追悼行事は「忘(忘れない)」。
忘られるわけがないし、忘たくても忘られないこともたくさんです。
しかし、これはあの日のできごとを忘ないことはもちろん、あの日感じたことを忘ない、あの日決意したことを忘ないということでもあると思います。
「あの日」は過去に戻ってあの日のこと、あの日の気持ちを思い出し、未来に向けて大切にし続けたいものを再確認する日です。
大きな絵1995

 

グリーン・パワー〜ヒトと緑の再生力

 一昨年の9月、実家の外壁工事のために、長年母が熱心に世話をしてきた庭のたくさんの木と花、すべてがなくなりました。
工事が決まったときから、とにかく植物が大好きな母がどれだけ気落ちするかと心配していたのですが、1ヶ月の工事期間中は緊張したまま、工事終了後はあまり変わりがないようにも見えました。
何もなくなった庭は本当に情けなく、寂しい場所になってしまっていて、眼から寒さを感じたくらいです。

IMG_8238 ところが、やはり年明けくらいになると、母は眼に見えて元気がなくなってきました。
「また、たくさん花を植えられるから」と言っても、返事もせず暗い表情のまま。時には「そんなん、できへん」と言うこともあったりして、それが2月くらいまで続きました。
その間も我が家の大きくなりすぎたグリーンを持って行って植えたりして、少しずつ緑を置くようにはしていたんですけれど。


 そこで、自然の中に身体を置くこと、歩くことを習慣にしようと週に一度は車ですぐの公園に行って、森の中を歩くようにしました。
自然が大好きな母なので、歩きながらほとんどの植物の名前は言えるし、子どもの頃の話もたくさん出てきます。

 公園に通っていると、少し元気が出ることもありましたし、元来料理をすることが好きなので、おやつを作って行って、木々や池、空を眺めながらティータイムをとって、ぼんやりする時間も取れましたが、やはり、元のような元気は戻りません。
しかも新型コロナウィルスの出現により、ますます不安になる要素も増えました。


 けれども、3月に入って生き残りの花が少しずつ芽を出し始めると、母にも少し元気が戻る兆しが見えました。
我が家から持って行ったオリヅルランに潜んでいたノースポールのつぼみが誕生したときには「これ、見て!」と大喜び。
ノースポールは母が大好きな花で、わりと簡単に増えてくれるので、母の「おくすり」には最適でした。
芽を出してくれた植物のパワーの大きさを改めて感じたのを覚えています。

 それに、通っている公園は割と広いので、短いけれど山道のような道もあります。
落ち葉で覆われた道は滑ることもあるので、踏ん張ったり、バランスをとったり、とても良いトレーニングになりました。階段も高さや幅が不規則だったり、傾斜があったりするので、舗装路では使わない筋肉を使います。特に下りはとても集中して歩きます。自分で「つま先を上げないと」と言って、いろいろと意識をしながら歩くようにもなっていました。
2年ほど前は「膝が痛い」と言って階段なんて上がれなかったけれど、公園ウォーキングを続けていると、膝は見違えるように良くなっていきました。
時には、ひーひー言いながらもがんばって歩いて(根っからの負けず嫌いです^-^;)、少しずつ増えてきた新芽や新緑からエネルギーをもらっていました。

 母の身体と心が少しずつ元気になってきたのは、森の中を歩き続けていることが大きかったのは間違いありません。これはやはり、家の庭にも緑が必要です。


IMG_0049 4月になって季節も良くなったので、我が家に眠っていたプランターに花苗を植えて運ぶうちに、母に、また少しずつ元気が戻ってきて、ようやく「庭の土をちゃんとしたい」と言い始めました。

 それまでは、花苗を見ても「これも、これもうちにあったのに」と繰り返すばかりで、「植えても大きくなるまで元気でいれるかどうかわからへん」と言い続けていたので、これは大きな一歩でした。
そして、「石灰を買う」と言いだしたときは、もうだいじょうぶかもしれない!と希望の光が見えました。


 そこで、外出自粛要請期間だったこともあって、庭づくりをスタート!
シャベルや鍬などの農具やコンクリートブロック、ガーデンブロックやレンガなど、様々な方に応援をいただいて、せっせと運ぶと、「お母さんにもできるかな!」とそれらを見ただけで喜んでいました。
庭に芽を出した花のように、「できる」ことが眼に見えたことが気持ちを動かしたようでした。

 わたしはと言えば、ベランダのプランターに花を育ててはいるものの、庭づくりなんてやったこともなかったのですが、とにかく庭の土を耕して、石灰を混ぜて寝かして、腐葉土と牛糞を混ぜて寝かして・・と少しずつ庭の再生作業に取り組みました。
縁側から見える場所にフェンス用のポットを並べて掛けたので、それが一日中見えることも良いようだったし、母は次第に「こっちにはこれを植えたい」と言うようにもなっていきました。
庭の生き残りのヨモギも「うちのは柔らかい!おいしい!」と自画自賛。
一日に何度も庭に出て花を見て、花殻を摘んだり、水やりのために庭中を往復するようになっていて、この頃には店頭で植物を見ても、「これもうちにあったわー」と、どうやらすっかり過去のことになったようで、「また、植えたいな」と言うようになりました。

IMG_0239 春に植えた花が大きくなってくると、道を行く人から「きれいですね」と声をかけられるようになったのは、予想していなかったことです。

 また、花が増えてくると、公園のウォーキングもますますはりきりモードになって、毎週せっせとお弁当を作って「酷暑」と言われた暑い夏も通い続けることができました。
 公園では階段を上がったり下りたりをがんばって、様々な鳥の声を聴き、池のカメやコイ、スズメやザリガニ、時にはサギやネコにも挨拶して、緑の中を吹き渡る風の心地よさを感じて、身体中で自然を味わう日々が続いたのです。

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 その間にも種を植えた朝顔やひまわりが咲いたり、新しい花を植えたりして、庭の手入れも欠かさず、身体の調子も良くなったようで、「もう膝のお医者さんには行ってない」とまで言うようになりました。

これはもうビッグニュース!
高齢になると、身体の機能が元に戻ることはなかなか難しいわけですが、どれだけ高齢になっても、こうして体力や気力が戻ることを目の当たりにして、人間が持つ底力は、わたしが理解していたものをはるかに超えるんだと、もう驚きを通り越して、これまでのわたしの認識の未熟さに恥ずかしくさえなったことは今も新鮮に残っています。


 自然が持つ大きな力の一つは、五感を刺激してくれる力です。
花の色や新緑のフレッシュな緑、日を追って色が変化する葉などは視覚だけでなく、嗅覚も刺激してくれるし、手に取ると触覚も、そして母は時々葉や実を失敬して味を確かめたりもしていました。
もちろん、緑の中で食べるお弁当は格別です。食べる量がすっかり少なくなった母ですが、お弁当はしっかり食べることができます。
 また、公園内には年中大きな望遠レンズをつけたカメラをかついだカメラマンがいるように、実にたくさんの種類の野鳥がいます。鳥たちはいつも賑やかで、母はその声に返事をしながら歩いています。
もちろん、自然の色が持つ力は、人工的に作った色とは格段に大きな力があります。

 それに加えて身体への刺激、運動効果もとても大きいものがありました。
公園内のアップダウンは筋力を使うし、身体全体のコントロールが必要な自然道は脚にもやさしく、歩いていて「気持ち良い」と言います。
最初は恐る恐る、ゆっくり歩いていたのに、今では歩き始めてしばらくすると歩幅が少し大きくなり、ちょっぴりスピードも上がってきました。膝の調子も上々です。
身体の調子が良くなってくると、自然を楽しむ余裕も大きくなるという良い循環を生みました。

 そして何より大きかったのは、自然が持つ生命エネルギーでしょう。
一時は荒れ野原のようになっていた庭に出てきた小さな芽は、大きな衝撃と、まだまだこれから始まるんだという希望を連れてきてくれました。
もうすっかり庭は死んでしまったように思っていた母に「また、できるのかもしれない」と感じさせてくれたように思います。
そう思わせてくれたのが、植物の生命エネルギーです。
生命エネルギーは植物だけでなく、その他の生きものにも、空にも海にも川にもありますが、それを感じることができれば、自らの生命エネルギーが刺激され、大きなエネルギーを生むのでしょう。
「これから大きくなる」「花が咲く」といった未来への希望こそが大きなエネルギーです。
この希望を自然からもらったのだと思います。


 今日はいただきものの小豆を「おぜんざいにした」と電話がありました。
明日は公園に行って、冷たい空気を感じながら、おぜんざいをあっためてみよう。
季節を感じること、自然の中に身をおくことを楽しもう。
そして、自分や周りの人たち、すべての生きものの力を感じよう。
こんなことが楽しい日々です。

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久しぶりの爽快感

6月は久しぶりに合計100kmジョギングした。

月の半ばを過ぎても40kmに満たないペースで、今月の目標を100kmにしたことを後悔した。
それでも、少しずつ少しずつノロノロと走っていると、もしかしたら達成できるかもしれない距離まできた。
でも、かなり気合を入れないと無理だ。

IMG_6814元来あきらめの悪いわたしは、いけるところまでいきたくて、ノロノロを繰り返す。
しかし、神戸はすっかり忘れてしまっていた梅雨にとうとう入ってしまった。
雨でも走る、スゴイランナーもいるけれど、わたしは晴走雨読。
ランナーでもないし。

それでも日々の積み重ねが功を奏したのか、6月29日、あと6kmで目標達成というところまで来た。
でも、最終日の翌日もしっかり雨の予報。 
ここまで来たけど、これまでかー




翌日はまた、とんでもなく土砂降りの雨が降った。
最近の天気予報は本当によくあたる。
それでも、少しでも雨があがる時間がないかとジタバタする。
本当にあきらめが悪い。

でもでもでも、午後2時ごろには雨があがる予報が!
おおっ!これは、行かねば!

IMG_6918というわけで、最終日は気持ち良く走って、目標達成。
久しぶりに身体中で味わった爽快感は、ちょっと驚くくらいで、
なんでこんなに気持ちがいいんだろう?

ランナーにすれば、なんでもない月100km。
でも、久しぶりのことだから、こんなに嬉しいのか。
100kmまで体力が回復してきたことが嬉しいのか。 

とにかく久しぶりに味わう充実感だ。

全く予想していなかった充実感に戸惑いつつも、素直にこの喜びを感じることに浸る。
数年前は月に180kmくらい走っていたけれど、100kmくらいが今の自分に合ってることを実感する。
これは、体力が落ちている証なのかもしれないけれど、なんだか嬉しい。
お天気の神様に感謝して、ごほーびーる。
 
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  • 11月のあおぞらレポート〜今年もありがとうございました
プロフィール

ふじいまさこざる

阪神大震災後の子どものこころのケアが色彩楽園の始まりです。当時出会った子どもたちは「こざるー!」と呼んでくれていました(^-^;