フジイブログ

色彩楽園主宰フジイのブログです。

子ども・色彩・こころ

新しい世界はみんなを待っている!

 2024年度の6年生卒業制作はRくんがチャレンジしました。
低学年の時は立体物をつくるのが好きで、難しいビー玉迷路などに何度もチャンレンジしていたRくんです。
とても優しくて、誰かのことを悪く言ったりすることは聞いたことがないし、描くことに集中していても、年下の子どもが困っていると必ず助け舟を出してくれました。
子どものアートクラス・アトリエの卒業制作は必ずやらなければいけないものではありません。
しかし、これままで最も大変な作品にチャレンジできる機会であること、やってもいいし、やらなくてもいいと相談してみると、いつも静かなRくんが「やる」と力強い返事をくれました。

 Rくんが選んだテーマは大好きなドラゴンボールでした。
これまでも何枚も描いてきたキャラクターです。いつもRくんが選ぶのはゴクウが戦っているシーンが多く、卒業制作に選んだのも、やはり戦っているシーンでした。
これは6年間の小学校生活を戦ってきたことが表れているのでしょう。そう思わずにはいられないテーマの選択でした。
戦うキャラクターを描き続けて「戦っていること」を表現し、戦い抜くことができたのかもしれません。

 B3サイズのイラストボードに描かれた、この絵はとても多くの手間がかかっており、本当に根気よく取り組まれたものです。
元々粘り強く取り組めるところがRくんの武器でもありましたが、最後となった作品でも、その力を十分に発揮してくれました。
きっとこれからも、この作品のように大きな敵に立ち向かっていくことでしょう。

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 小学3年生から中学3年生まで通ってくれたIくんも入学試験を突破して高校生になり、今春アトリエを卒業しました。
Iくんは自分が夢中になれるものをみつけて高校を自分で決めました。最後のアトリエでお母さまから手紙をいただきましたので、一部をご紹介します。

「アトリエに通うようになってからは毎日のように家でも何かを作り、新しいものを生み出していました。

飽きることなく毎日です。(中略)おそらくIが作った作品は1,000点以上。Iが創り出した作品は、その時のIの心の中にあるもの、感情がそのまま乗ったIそのものだったんだろうと思います。

 この作品創りがあったから、今のIがある。創ることで自分の感情を出し、自分を表現する。Iの心の安定はここにあったんだと思います。

今のIを作ったのは作品創りだと思います」


 Iくんは自分の道を自分でみつけて、その世界に自ら飛び込むことを決めました。
RくんもIくんも夢中になれるもの、やらずにはいられないことを自分でしっかりわかっています。
誰かに言われて仕方なくやることではなく、能動的に取り組むことができるものを持っているのです。この、能動的に取り組めるものこそがその人にしかない能力が発揮できるものだと思います。

 

 子どもたちは、みんな自分だけの表現方法を持ってアトリエを飛び立ちました。
新しい世界でも感じたこと、考えたこと、やってみたい気持ちなど自分の中にあるものを大切にしてほしいと思います。

 そして、新しく仲間になった子どもたち、ようこそ!
アトリエという空間もみんなのことを待っていました。やってみたいことにどんどんチャレンジして下さい。
 木々が芽吹き、花が開き、生きとし生けるものが活動を始める春には、まるで大地自体が深い眠りから覚めてくるかのような、生のエネルギーが満ち溢れているのを感じることができます。
子どもたちのエネルギーも高まる4月。期待でいっぱいの春です。

特別セミナー 災害と子どもの心のケア

<阪神・淡路大震災30年特別セミナー>
災害と子どもの心のケア〜クレヨンが心のおくすりに


子どもの心を守りたいー
災害が起きたとき、まず守りたいのは大切な家族の命です。
命の次に守りたいのは家族の心です。

色彩楽園は阪神・淡路大震災が起きた1995年から絵による子どもの心のケアに取り組んできました。
子どもは災害だけでなく、日常生活の中でも心にダメージを受けることが珍しくありません。

そこで、家庭できる楽しい”おえかきケア”をご紹介します。
実際に色鉛筆やクレヨンを使って私たち自身が体験してみましょう。
お父さん、お母さん、先生方、子どものアートセラピーに興味がある方、どなたでもぜひご参加ください。

日時 2025年1月19日(日)13:30〜15:30(受付13:00〜)
会場 神戸真生塾子ども家庭支援センター ロータリー子どもの家https://kobe-shinsei-cfsc.com
定員 30名
参加費 1,000円(あおぞら募金としてお預かりします)
受付期限 2025年1月10日

*要事前申し込み(当日受付はありません)

*ミニあおぞら色彩楽園はどなたでも参加できます。

詳しくはこちら!
https://www.shikisaigakuen.com/event/3942

30thイベント


くますけものがたり4〜災害と子どものケア

くまものがたりロゴ4

こんにちは!くますけです!

1995年の阪神・淡路大震災での子どもの心のケア活動から色彩楽園は神戸に誕生しました。

その後も子どもの心を解放するための公園のアートスペースは続き、多くの子どもたちを迎えました。これが今の「あおぞら色彩楽園」で、震災直後と同じくボランティアで活動を続けて、新年を迎えると満30年になります。

30年の間、「あおぞら色彩楽園」を続けながら、各地で起きた災害で被災した子どもたちの元へも駆けつけました。

・1995年 阪神・淡路大震災(兵庫県西宮市・芦屋市・神戸市)
・1997年 神戸市児童相談所一時保護所(兵庫県神戸市)
・1999年 コソボ紛争(大阪府堺市)
・2004年 豊岡市台風23号(兵庫県豊岡市)
・2009年 佐用町台風9号(兵庫県佐用郡佐用町)
・2011年 東日本大震災(山形県・福島県)
・2014年 広島豪雨災害(広島県広島市)
・2018年 西日本豪雨災害(愛媛県大洲市)


1997年からは神戸市児童相談所(現神戸市こども家庭センター)一時保護所で生活する子どもたちと「おえかきケア」の時間を持ち、1999年には激化した紛争から親族を頼って日本に避難したコソボの子どもたちのケアに関わりました。紛争を経験した子どもたちのダメージはやはり大きく、2001年春に母国に帰国するまで、毎月一緒に絵を描いて過ごしました。


DSC00531そして、世界中が驚いた2011年の東日本大震災。

信じられないくらいの大きな津波により、とても多くの方々が犠牲になり、また、原子力発電所の事故も起こりました。

そんな中、震災から2週間後には「おえかきやさん」として避難所に向かい、翌年からは福島県で毎月おえかきやさんを実施する機会をいただいたんです。

このときは「くますけものがたり2」でもご紹介した通り、くまボラさんたちの手によって400体ものくますけぬいぐるみが集まりましたよー。


また、2018年の西日本豪雨により怖い想いをした子どもたちとも出会いました。

あのときは神戸でも本当にたくさんの雨が降り続いて、「この雨、本当に止むのかなあ」と思ったくらいです。


こうした活動が評価されて、2015年には日本児童青年精神医学会より実践奨励賞をいただきました。表彰式にはぼくも一緒に行きました。

どこで起きた、どのような災害でもスタッフから聞いたのは、子どもたちが次第に心を解放して元気を取り戻していく姿に「私たちが元気にしてもらった」という声です。

みんなのパワーは本当に大きくて、ぼくも元気をもらいました。

子どもも大人も心のエネルギーを取り戻すと街も元気になっていきます。

これは、きっと、この先も変わりはないんだろうと思います。


これらの活動はどれも多くの方々のご支援をいただき、実現しました。

子どもの心の健康を大切に考える人たちがたくさんいることもまた、本当に嬉しく、感謝でいっぱいです!

くますけものがたり3〜あおぞら色彩楽園誕生!

くまものがたりロゴ3

こんにちは!くますけです!

ピンクのくまが登場したのは2009年ですが、色彩楽園は1995年の阪神・淡路大震災のときから心にダメージを受けた子どものケア活動に取り組んでいます。

阪神・淡路大震災が起きたのは1月17日。神戸で大きな地震が起きるなんて、ほとんどの人が考えていなかったし、今のようにインターネットや携帯電話も普及していなかったので、何が起きているのかを知ることも、誰かに連絡することも大変でした。

多くの人が死の恐怖を味わい、大人でも冷静ではいられない中で、「子どもたちはどうしているんだろう」と、思えたのが震災から二日後です。

ライフラインが断たれて、生活自体がままなりませんでしたが、子どもたちのことが気になって居ても立っても居られず、震災から三日後に東京に「救援物資でクレヨンを送ってもらえませんか?」と電話をかけました。

その後、絵による子どものケアに取り組むボランティアグループ「空とぶ子どものアトリエ」が誕生しました。

道路も線路もちぎれて、移動も難しい被災地で「空を飛んででも子どもたちのところに行きたい」という思いから付けた名前です。


避難所2-1神戸市、芦屋市、西宮市内の避難所や児童館、公園など最大13ヶ所で定期的におえかきやさんとして訪問し、自由なアートスペースを開設しました。

藤井さんは神戸市内の保育園では「うちゅうじーん!」と、芦屋市内の公園では「こざるー!」と呼ばれていましたよ。

一年間活動を続けて、延約3700名の子どもが絵を描きにきてくれたんです!
「空とぶ子どものアトリエ」が解散しましたが、藤井さんたちのグループが「色彩楽園」と名前を替えて、芦屋市内で活動を続けました。


そして、1997年、この活動は場所を神戸に移しました。
大倉山公園で「あおぞら色彩楽園」が始まったんです。
震災から2年、「やっと子どもが遊べる場所がみつかった」と言う声もありました。
あおぞら色彩楽園には本当に多くの子どもたちが遊びにきてくれました。
続きは「くますけものがたり4」で!

くますけものがたり2〜くますけが被災地に!

くまものがたりロゴ2

こんにちは!くますけです!涼しくなりましたね!

くますけものがたり1でお伝えしたように、「くますけ」と名前をつけてもらったのは2014年。
でも、ぼくが誕生したのは、どうやら2009年の春ごろのようです。そのころは、見た目の通り、「ピンクのくま」と呼ばれていました。
初めは「あおぞら色彩楽園」のシンボルキャラクターとしてスタートして、その後様々な場に登場するようになって、色彩楽園のキャラクターとして活動するようになりました。


その中で、なんと言ってもぼくが大活躍したのは、2011年の東日本大震災です。
原子力発電所の事故もありましたし、とんでもない津波に襲われて、街は飲み込まれ、たくさんの人が犠牲になりました。
もちろん、被災した子どもたちの応援に行ったのですが、同時に「おえかき救急箱」を作って被災地に届けたんです。

おえかき救急箱 おえかき救急箱は箱が机の代わりにもなるように、丈夫な箱を使いました。
中にはクレヨンや鉛筆、画用紙やぬりえなどと一緒にピンクのくま(当時名前はまだありません)のぬいぐるみを入れました。
心にダメージを受けた子どもにとって、クレヨンや画用紙はダメージを優しく包む包帯やばんそうこうになります。
だから、ぼくのポケットにはクレヨンが入っているでしょ?
子どもたちに元気になってもらうための、言わば「おくすり」なんです。

また、子どもにとって、柔らかいぬいぐるみに癒し効果があることはテディベアが有名です。

ぼく、くますけも子どもたちのそばに行きたいたいと思いました。
そこで、ピンクのくまのぬいぐるみを作ってくれるボランティア、通称くまボラさんを大募集しました。
DSC00933すると、なんと、なんと!
約1年半の間に全国から全部で400体ものくまのぬいぐるみが集まったんです!
アトリエはくまだらけでした!
もちろん、おえかき救急箱の中に入って被災地に行きましたよ。
中にはぼくの絵を描いてくれた子もいました。
この、くまボラをきっかけに、ピンクのくまは子どもの心のレスキューのシンボルになりました。

harukaピンくま120208













ぼくの活躍はまだまだあります。
くますけものがたり3をお楽しみに!
ギャラリー
  • 5月のあおぞらレポート〜まずは絵の具を楽しんで!!
  • 復興の原動力は子どもたち〜震災復興モデル
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  • 4月のあおぞらレポート~あおぞら色彩楽園スタート!
  • くますけがひもとく色彩楽園30年〜子どもたちの声から生まれたあおぞら募金
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  • くますけものがたり6〜あおぞら存続の危機も!?
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プロフィール

ふじいまさこざる

阪神大震災後の子どものこころのケアが色彩楽園の始まりです。当時出会った子どもたちは「こざるー!」と呼んでくれていました(^-^;