今年は連休といえば、台風が近づいて来ている印象がありました。
3連休の中日だった9月のあおぞらも、当日の朝まで天気予報から目が離せませんでした。
運良く雨が降らなくても、台風接近中は風がとても危険です。
そんなお天気は「あおぞら」に味方してくれて、なんとかあおぞらを開催することができました。
しかし、開催はできたものの、さすがに台風接近中とあって参加者は両手で数えられるくらいで、珍しく、実に静かな「あおぞら」でした。
参加人数が少ない時は、子どもたちとも、保護者の方々ともゆっくりお話しできるチャンスです。
スタッフものんびりと一緒に色水で遊んだり、子どもたちが生み出す心地よい空気に浸ったりしていました。
この機会を逃す手はない!
3連休の中日だった9月のあおぞらも、当日の朝まで天気予報から目が離せませんでした。
運良く雨が降らなくても、台風接近中は風がとても危険です。
そんなお天気は「あおぞら」に味方してくれて、なんとかあおぞらを開催することができました。
しかし、開催はできたものの、さすがに台風接近中とあって参加者は両手で数えられるくらいで、珍しく、実に静かな「あおぞら」でした。
参加人数が少ない時は、子どもたちとも、保護者の方々ともゆっくりお話しできるチャンスです。
スタッフものんびりと一緒に色水で遊んだり、子どもたちが生み出す心地よい空気に浸ったりしていました。
この機会を逃す手はない!
以前より、子どもたちには大人が真剣に絵を描くときに発せられる空気に生で触れてもらいたいと思っていたので、現役アーティストのあおぞらスタッフ、のっぽのHさんに子どもたちと同じように絵を描いて欲しいとお願いしました。
しかし、現役アーティストと言えど、Hさんはこの日は子どもたちのアートを支える心づもりで来ていますから、おそらく切り替えが大変だったのでは、と思います。
でも、Hさんは、この突然のお願いを聞き入れてくれて、全力で絵を描いてくれました。
しかし、現役アーティストと言えど、Hさんはこの日は子どもたちのアートを支える心づもりで来ていますから、おそらく切り替えが大変だったのでは、と思います。
でも、Hさんは、この突然のお願いを聞き入れてくれて、全力で絵を描いてくれました。
途中から男の子の兄弟がHさんの側に座り込んで、その様子をじっと見ていました。
特に5歳のお兄ちゃんは、実に真剣な眼差しでじっとしたまま、身じろぎもせずにHさんが描く様子を見ています。
こんなときは、大人と子ども、絵が好き、嫌いなどの区別はありません。
描いている人、見ている二人、三人全員がそれぞれ「一人の人間」としてアートが生み出すクリエイティブな空気の中に身を置いて、何かが生まれるプロセスに夢中になっています。
この後、二人の男の子は楽しそうに帰って行き、作品を完成させたHさんは清々しい表情で汗をぬぐっていました。
後日、Hさんはレポートを送ってくれました(一部抜粋)
「(子どもたちと)同じように公園で絵に取り組んで感じたことは、自分は自由じゃないということでした。
まず「何を描こう」と必死に考える自分がいて、次に「ここにある筆と絵具だったらどういう工程で作業を進めたらよいか」と考え始めます。
周囲の人が自分を見ているかどうかなんてわからない状況であっても「これは一種のパフォーマンスだから失敗できないし、上手く描かないといけない」とか考え始める頃には、かなり絶望的な状況になっていました。たぶん顔も緊張して怖い顔になっていたと思います。
他人に絵を描くことを勧める時には、「上手く描こうなんて考えないで、絵具とローラーで遊んでください、楽しいですよ」なんて言っていたのですが、いざ自分がやってみると、まがりなりにも絵を描くことを生業とする者としての誇りと自尊心で、ガチガチに縛り上げられた不自由な自分の心をはっきりと自覚したことが、一番の驚きであり発見でした。」
特に5歳のお兄ちゃんは、実に真剣な眼差しでじっとしたまま、身じろぎもせずにHさんが描く様子を見ています。
こんなときは、大人と子ども、絵が好き、嫌いなどの区別はありません。
描いている人、見ている二人、三人全員がそれぞれ「一人の人間」としてアートが生み出すクリエイティブな空気の中に身を置いて、何かが生まれるプロセスに夢中になっています。
この後、二人の男の子は楽しそうに帰って行き、作品を完成させたHさんは清々しい表情で汗をぬぐっていました。
後日、Hさんはレポートを送ってくれました(一部抜粋)
「(子どもたちと)同じように公園で絵に取り組んで感じたことは、自分は自由じゃないということでした。
まず「何を描こう」と必死に考える自分がいて、次に「ここにある筆と絵具だったらどういう工程で作業を進めたらよいか」と考え始めます。
周囲の人が自分を見ているかどうかなんてわからない状況であっても「これは一種のパフォーマンスだから失敗できないし、上手く描かないといけない」とか考え始める頃には、かなり絶望的な状況になっていました。たぶん顔も緊張して怖い顔になっていたと思います。
他人に絵を描くことを勧める時には、「上手く描こうなんて考えないで、絵具とローラーで遊んでください、楽しいですよ」なんて言っていたのですが、いざ自分がやってみると、まがりなりにも絵を描くことを生業とする者としての誇りと自尊心で、ガチガチに縛り上げられた不自由な自分の心をはっきりと自覚したことが、一番の驚きであり発見でした。」
あおぞらスタッフがよく口にする、「なんでもOKですよー」は、一見自由なようですが、実はとても不自由な面も持っています。
私たちの多くは中学校を卒業するまで10年ほどは絵を描くことについて指導を受けています。
しかし、感じたままに描いていいとされる経験はごく僅かでしょう。
ですから、「なんでもOK」なんて、あまり経験したことがないわけで、そう言われても困ってしまいます。
大人にとって、自由に表現することは、なかなか難しいことでもあるのですが、その点、子どもたちは、すぐに自由になれる力を持っています。
最初の1枚こそ、「図工の時間にも描いた」というような作品になっても、作品が受け止められると、すぐに心を解放し、自由になって、その子ならではのアートを見せてくれます。
ですから、「なんでもOK」なんて、あまり経験したことがないわけで、そう言われても困ってしまいます。
それに、10年も図工や美術の授業を受けていても、大人になってからも絵を描くことを楽しむ人は、これもまた決して多いとは言えません。
これは、誰かが発するクリエイティブなエネルギーを感じたり、自ら描くこと・表現することで心が充実する、満足する、つまり、脳が気持ちよくなる体験が乏しいほど起こるのでは、と思っています。
これは、誰かが発するクリエイティブなエネルギーを感じたり、自ら描くこと・表現することで心が充実する、満足する、つまり、脳が気持ちよくなる体験が乏しいほど起こるのでは、と思っています。
思いのままに描くこと、つくることがとても心地良いことは、工作スペースに座り込んだお父さんたちや絵の具で色をぬり始めたお母さんたちが、いつのまにかお子さんよりも夢中になっている姿からも頷けます。
クリエイティブなエネルギーはアーティストだけが発するものではないのです。
大人にとって、自由に表現することは、なかなか難しいことでもあるのですが、その点、子どもたちは、すぐに自由になれる力を持っています。
最初の1枚こそ、「図工の時間にも描いた」というような作品になっても、作品が受け止められると、すぐに心を解放し、自由になって、その子ならではのアートを見せてくれます。
だからこそ、無条件で子どもをリスペクトできるし、作品を任せられるし、すべて受容できるのです。
Hさんが描く様子を食い入るように見てくれた二人の兄弟は、絵の過程はもちろん、自身と戦っていたHさんの、とても大きなアートなエネルギーを身体中で感じてくれたと思います。
公園の中のアートスペースに広がる心地よい空気は、いつも特別です。
集まってくれた子どもも大人もスタッフも、みんなで発している心地よい空気です。
集まってくれた子どもも大人もスタッフも、みんなで発している心地よい空気です。