フジイブログ

色彩楽園主宰フジイのブログです。

阪神・淡路大震災

くますけものがたり4〜災害と子どものケア

くまものがたりロゴ4

こんにちは!くますけです!

1995年の阪神・淡路大震災での子どもの心のケア活動から色彩楽園は神戸に誕生しました。

その後も子どもの心を解放するための公園のアートスペースは続き、多くの子どもたちを迎えました。これが今の「あおぞら色彩楽園」で、震災直後と同じくボランティアで活動を続けて、新年を迎えると満30年になります。

30年の間、「あおぞら色彩楽園」を続けながら、各地で起きた災害で被災した子どもたちの元へも駆けつけました。

・1995年 阪神・淡路大震災(兵庫県西宮市・芦屋市・神戸市)
・1997年 神戸市児童相談所一時保護所(兵庫県神戸市)
・1999年 コソボ紛争(大阪府堺市)
・2004年 豊岡市台風23号(兵庫県豊岡市)
・2009年 佐用町台風9号(兵庫県佐用郡佐用町)
・2011年 東日本大震災(山形県・福島県)
・2014年 広島豪雨災害(広島県広島市)
・2018年 西日本豪雨災害(愛媛県大洲市)


1997年からは神戸市児童相談所(現神戸市こども家庭センター)一時保護所で生活する子どもたちと「おえかきケア」の時間を持ち、1999年には激化した紛争から親族を頼って日本に避難したコソボの子どもたちのケアに関わりました。紛争を経験した子どもたちのダメージはやはり大きく、2001年春に母国に帰国するまで、毎月一緒に絵を描いて過ごしました。


DSC00531そして、世界中が驚いた2011年の東日本大震災。

信じられないくらいの大きな津波により、とても多くの方々が犠牲になり、また、原子力発電所の事故も起こりました。

そんな中、震災から2週間後には「おえかきやさん」として避難所に向かい、翌年からは福島県で毎月おえかきやさんを実施する機会をいただいたんです。

このときは「くますけものがたり2」でもご紹介した通り、くまボラさんたちの手によって400体ものくますけぬいぐるみが集まりましたよー。


また、2018年の西日本豪雨により怖い想いをした子どもたちとも出会いました。

あのときは神戸でも本当にたくさんの雨が降り続いて、「この雨、本当に止むのかなあ」と思ったくらいです。


こうした活動が評価されて、2015年には日本児童青年精神医学会より実践奨励賞をいただきました。表彰式にはぼくも一緒に行きました。

どこで起きた、どのような災害でもスタッフから聞いたのは、子どもたちが次第に心を解放して元気を取り戻していく姿に「私たちが元気にしてもらった」という声です。

みんなのパワーは本当に大きくて、ぼくも元気をもらいました。

子どもも大人も心のエネルギーを取り戻すと街も元気になっていきます。

これは、きっと、この先も変わりはないんだろうと思います。


これらの活動はどれも多くの方々のご支援をいただき、実現しました。

子どもの心の健康を大切に考える人たちがたくさんいることもまた、本当に嬉しく、感謝でいっぱいです!

28年の時を経て〜変わらぬ大切なもの〜

 1月17日は防災とボランティアの日。
28年前に阪神・淡路大震災が起きた日です。
あの日も火曜日でした。

 

 当時、神戸で大きな地震が起きることを考えていた人は、おそらく少なかったと思います。
地震に対する備えなども子どもの頃からあまり聞いたことはなかったし、 どこか、関東や東海のイメージがありました。
「まさか!」という想いは、きっと多くの人の中にあったでしょう。
ですから、「なに?なにが起きたの?」と戸惑う時間も長かったかもしれません。

 あの日は生まれて初めて「あ、今、死ぬんだ」という感覚を経験しました。これは、あの日以外に経験したことはありません。


 繰り返される余震は、また大きな揺れが来たらどうすればいいのかと思わずにはいられませんでした。
寒い日でしたが、玄関や裏口を開け放して、外に出かける時と同じコートを家の中で着て、テレビのニュースに釘付けになりました。
夜になると、当時家にいたネコがあの日だけベッドに潜り込んできました。

あの日のことは今でも当時と同じように話すことができるくらい記憶は鮮明です。

忘れるわけがありません。

あの日は過去のことになっているようで、なっていないのかもしれません。


 あの日、私たちは、たくさんの尊いものを失いました。
今なお、あの日のことを受け止められずにいる方もたくさんいらっしゃいます。

 しかし、あの日から28年生きてきた私たちは、多くの新しいものも生み出し、得てもきました。

生活を立て直すパワー。

「ボランティア」は「普通のこと」に。

様々なつながり。

災害に強い街をつくりたいという想い

地震への備え。

そして、一人ひとりの命、その存在が何より大切だという想い。


自然災害などで被災した子どもの心のケアの基本もその一つです。

命の重さをあれほど感じた日はありません。

無事でいることが、どれほど嬉しく安心できるのかをあれほど感じた日はありません。

1月17日は、そういう日です。
 

避難所2-1 この写真は避難所で絵を描く子どもたち。夢中で絵を描く子どもたちに明日への希望をもらいました。
 

 神戸に暮らす私たちにとって、1月は命を想う月です。

ありがとうございます。色彩楽園26周年

 冷たい風が吹く日も、立春を迎えて少しずつ春の兆しを眼にするようになってきました。
この時期の冷たさに思い出すのは、色彩楽園の原点である1995年の阪神・淡路大震災での子どもたちのケアをスタートさせた2月5日の冷たい雨です。
リュックに画用紙やクレヨン、色鉛筆などを詰め込んで、傘をさして避難所に向かいました。

避難所2 「心のケア」が一般的ではなかった当時は避難所でおえかきをさせてもらうだけで大変でした。
屋内のスペースをお借りすることは難しく、子どもたちは校庭やプールサイドに敷いたダンボールの上で夢中で絵を描き、「寒い」という子どもはいませんでしたし、わたしたちボランティアも寒かった記憶はありません。
絵を描いたり体を動かして遊んだり、ほとんどの子どもは一見元気なように見えましたが、絵の中にはそれぞれの苦しみ、驚き、ショック、不安、怖さなどが次々と表れました。
子どもたちは、その大きなパワーで目の前の様々な壁を乗り越えて明日を迎えていたのです。

 このときに子どもたちが描いた絵は子どもの心の回復過程を知る上でとても貴重なものになりましたし、一見無意味に見える子どもの行動がとても重要な意味を持っていることを教えてくれました。

子どもたち2 そして2011年、東北で大きな震災が起きました。一晩中雪道を走って避難所に着くと、山と積まれた救援物資、忙しくしているボランティアたち。目の前には16年前と同じ光景がありました。

 しかし、一つだけ16年前とは大きく変わったことがありました。なんと、小さな子どもを持つ若いお父さん、お母さんから歓迎を受けたのです。
神戸の震災のときは絵によるケアなんて誰も知らなかったのに、子どもの心のケアに関わる人たちの様々な積み重ねが実となって、お父さん、お母さんたちに浸透していることを感じて、本当に嬉しい、涙がにじむような気持ちになったことを今でも覚えています。


 そして今。新型コロナウィルス感染拡大防止のための自粛や規制はもう一年になります。
震災のときのような突発的で、ある意味瞬間的なできごとにより心にダメージを受けた子どもに対するケアではなく、長く続くストレス、友だちとじゃれあって遊べない、会話を楽しみながら給食の時間を過ごせないことなどへのケアが考えれらなければなりません。
 26周年を迎えて、色彩楽園はまた新しい課題を突きつけられています。
でも、きっと子どもたちと一緒に乗り越えられると思っています。
さあ、今日は27年目のスタート。また一歩ずつです。
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プロフィール

ふじいまさこざる

阪神大震災後の子どものこころのケアが色彩楽園の始まりです。当時出会った子どもたちは「こざるー!」と呼んでくれていました(^-^;